好きです 輝く柏崎

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史跡・神社・仏閣

貞心尼ゆかりの地~柏崎に残る貞心尼の足跡~

柏崎は良寛の弟子貞心尼がその生涯の大半を過ごした地です。いまもなお貞心尼ゆかりの史跡、文化財が多く残されており、その足跡を辿ることができます。

閻王寺跡    閻王寺跡

貞心尼剃髪の地

文政3年(1820)、貞心尼は23歳の時、閻王寺という尼寺で眠龍尼(みんりょうに)・心龍尼(しんりょうに)の弟子となり、この地で6年ほど厳しい修行を積みました。出家の地を柏崎に選んだのは、柏崎が乳母八重の在所があったこと、12歳の時に一度訪れて忘れがたい所であったなどからではないでしょうか。

不求庵跡    不求庵跡

貞心尼終いの棲家

嘉永4年(1851)4月、大火により10年間住んだ釈迦堂が焼失してしまいましたが、同年10月、歌の友であった山田静里や多くの外護者の寄進によって「不求庵」と名づけられた狭い庵室が建てられます。そこへ移った貞心尼は、以後22年間住み、ここが貞心尼の終いの棲家となります。

洞雲寺    洞雲寺

貞心尼のお墓が建つ地

明治5年(1872)2月11日、75歳の生涯を閉じた貞心尼のお墓が弟子のお墓と共に裏山にひっそりと建っています。洞雲寺には貞心尼と良寛がやりとりをした、「恋は学問を防ぐ」の歌碑もあります。このお墓は、弟子の尼僧によって建立されたものと云われ、碑面には辞世の句が刻まれています。

貞心尼の歌碑    貞心尼の歌碑

歌碑をめぐってまち歩き

柏崎駅北口から日本海に向かってまっすぐ伸びる駅仲商店街とニコニコ商店街通りには、12基の歌碑が建立されています。「蓮の露」「焼野の一草」「もしほ草」より柏崎良寛貞心尼会が選定した最も貞心尼らしい歌が刻まれています。日本海のさわやかな潮風を感じながら、歌碑をめぐってまち歩きはいかがでしょうか。

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歴史を刻む神社・仏閣~遥か時代を越えていま輝く~

柏崎は、北国往還の要衝で、古より人々の往来や文化の伝播、物資の移動などが活発に行われてきました。古来、多くの貴人・文人が旅した記録も残るこの地には、歴史を刻む多くの神社・仏閣が点在しています。

大泉寺観音堂                                              大泉寺

上杉謙信・景勝らの尊崇を受けた名刹

日本海を望む山頂に有り、朱鳥元年(686年)持統天皇の願いで僧泰澄が創建したと伝えられる名刹です。越後の歴代武将、上杉謙信・景勝らが参詣し、その崇敬保護を受けました。観音堂とあわせて文禄2年(1593年)名のある肘木が国の重要文化財に指定されています。

番神堂    番神堂

日本海を眺望する日蓮上人ゆかりの御堂

日蓮宗妙行寺の境外仏堂で、日蓮上人が文永11年(1274年)佐渡から赦免された折、三十番神の霊を請じ迎えて祀ったものと伝えられています。本殿の壁面には、名工甚太郎・篤三郎・彫富らの手により見事な彫刻が施されています。境内からは、日本海を眺望することができ、日蓮上人が佐渡からお着きになったと云われる番神岬を見下ろすことができます。

多多神社    多多神社

鎌倉時代の古調を残す国重要文化財

大同元年(806年)創立で、現在の本殿は棟札により、永正16年(1519年)に建立されたものです。社殿は、流れ造りの正当を踏む室町時代中期のもので、鎌倉時代の古調も残しており、宝珠や擤彫刻に地方色もうかがうことが出来ます。昭和33年に国の重要文化財の指定を受けています。

二田物部神社   二田物部神社

武神に願う伝統の御弓始

延喜式内社で武神二田天物部命を祀っています。由緒によれば、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征討時の武運長久を祈願したとされ、これを以って越後の戦国武将の崇敬を集めてきました。毎年2月には、社殿から約20m離れた的を射抜く伝統行事「御弓始」が行われ、一年の豊作と繁栄を祈願します。

 

柏崎に点在する古城跡~越後上杉家を支えた柏崎の武将たち~

柏崎には上杉謙信、景勝の軍団を担った武将ゆかりの古城跡が点在します。上杉謙信の軍師として知られる宇佐美定満の琵琶島城や「御館の乱」で景勝、景虎の勝敗のゆくえを左右した北条高広・景広親子の北条城が知られています。

琵琶島城跡         琵琶島城跡

上杉謙信の軍師、宇佐美定満の居城

琵琶島城は、中世越後有数の港湾「柏崎湊」と「柏崎町」の支配と防衛のために、越後守護上杉家の直領として、大切な役割を担っていました。また、NHK大河ドラマ「天と地と」で謙信の軍師として描かれた宇佐美定満の居城として有名です。城跡には現在、県立柏崎総合高校が建っており、敷地内に城址の石碑が建立されています。

北条城址     北条城址

故事「三本の矢」毛利元就の祖先、北条毛利氏の居城

北条城は、越後上杉氏の有力武門である北条毛利家を城主とし、南北朝期から戦国時代までの約300年間、その威光を放ち続けました。また、その支系は西国安芸国(広島県)にも及び、毛利元就を生んでいます。上杉謙信の重臣として上野国厩橋(現群馬県前橋市)の初代城主として派遣された北条毛利高広や、高広の子景広の武勇が今なお地元で語り継がれています。

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